紀州備長炭

和歌山県産。日本木炭の最高傑作。火力、火持ち、灰分のバランスが良い備長炭。

産地:和歌山県全域、三重県南部
原木:ウバメガシ、樫
特徴:現存する最も歴史の古い白炭です。
灰が少なく、火力があり、火持ちもよい。
 

以下、紀州備長炭の詳しい説明になります。興味のあるかたはぜひ読んでみてください。


                           
紀州備長炭とは、文字通り「紀州」で作られた「備長炭」のことですが、そもそも備長炭とはなんなのか、紀州備長炭の歴史を振り返りながら簡潔に説明していきます。最後に、紀州備長炭と弊社との関係を説明させていただきます。

1 紀州備長炭とは

1.1 定義

紀州備長炭とは、和歌山県全域と三重県南部を産地とするウバメガシを原木とした白炭であって、備長窯で製炭された木炭のことをいいます。木炭として世界でも類をみない硬度と重さを持ち、安定した火力を長時間維持することができる日本木炭の最高傑作です。

ウバメガシとは、ブナ科コナラ属の常緑樹で日本では沖縄から房総半島にかけて自生する樹木です。生垣や公園樹としても多い。姥目樫と書き、紀州では馬目(ウマメ)、ウマベ、バベとも呼ばれる。材質は緻密できわめて堅く、比重が大きいため水に入れると沈みます。

1.2 紀州備長炭の歴史

平安時代(794〜1184)

備長炭の前身と言われる木炭「煎炭」が製炭されるようになります。その製炭技術は弘法大師空海が中国から持ち帰ったものと信じられていますが、新しい技術や便利な考案に弘法大師や聖徳太子を持ってくるのは古代日本人の通癖ともいわれています。火力が強く、火持ちもいい紀州の炭は、当時から「熊野炭」「田辺炭」と呼ばれて珍重されました。

江戸時代(1600〜1867)

備長炭と言えば紀州で作られた炭を意味していたのですが、その高度な製炭技術がが土佐(高知)や日向(宮崎)に伝承されたことにより、「産地」を表す語句から「技術」を表す語句へと変化しました。生産地の自給品だった木炭が商品として遠距離輸送されるようになり、産地を区別するため「紀州備長炭」と呼ばれるようになっていきました。

(関連史料)
『和漢三才図絵』1713
『田辺諸事控』(享保10年1726年頃作製か)
『能中奇観・田城の賦』玉置香風1780?作成年不詳)
『十寸穂(ますほ)のすすき』1815

近現代(1868〜)

1974年に紀州備長炭の製炭技術は和歌山県無形民俗文化財に指定され、1970年に結成された「紀州備長炭技術保存会」によって保持され、技術が継承されています。2000年を過ぎた現在でも、飲食店を中心に日本木炭の最高級品として利用され続けています。

(関連史料)
『田辺町誌』1930
『紀州備長炭の創製者と称せらるる備中屋長左衛門に就いて』歴史地理55巻第6号1930

1.3 「紀州は特別」と言われる3つの理由

現在、備長炭は日本でも数か所で製炭されていますが、愛用者からは紀州備長炭は特別だといわれます。その製炭上の理由は下記の3つにまとめられています。

①築窯に適した独特の土質

紀伊山地には耐火性の高い粘土(古生層)があり、1000度を超える高温となる白炭窯の天井に使用することができたこと。そのため、炭化初期の温度上昇を抑え急な炭化を防ぎ、炭化が終わると窯が冷えやすい好条件が生まれました。

②燃焼特性に優れた炭材

気乾比重1.01という日本木材の中で最も堅く重い部類に属し、灰の成分に多くのカリウムとマグネシウムを含むこの地域独特のウバメガシを利用できたこと。このカリ分が助燃剤として働くため、硬質にかかわらず立ち消えしない紀州備長炭の大きな長所につながっているといわれています。

③製炭技術の研鑽と継承

当時の紀州藩によって流出が禁じられるほど製炭技術が、少なくとも江戸元禄時代から300年以上を経た現代でも継承され製炭され続けていること。

『紀州備長炭』 第57回日本森林学会関西支部等合同大会

日本の中でも特殊な紀伊山地の地質、気候、伝統が、紀州備長炭が備長炭の中でも特別だといわれる理由だと思います。

2 備長炭とは

2.1 「備長」の由来と初出史料

元禄時代(1688〜1704)以降、江戸では自然発生的に炭問屋の名称を略した「備長」の炭、「備長炭」という名称が生まれたのではないかと言われています。紀州の炭が「熊野炭」と呼ばれていたことは文献から明らかですが、このうちさらに良質なものを「備長炭」と呼んだとする資料は存在しません。

「備長炭」ではありませんが、「備長」の語句が初めて使われた資料は、玉置香風が著した『熊中奇環』の中の「田城の賦」(1780?)とされています。

2.2 名称の由来に関する3つの説と発明者の結論

2.2.1 3つの説の紹介

上記のとおり「備長炭」の発明年代や発明者、名称の由来に関しては明確な史料が残っておらず、すべて推測の域を出ません。そのため様々な書かれ方をしていますが、この研究に関しては中瀬喜陽氏と樋口清之氏の文章が最も詳しいと思います。まとめると下記の通りです。

①「大津市右衛門」説
 万治年間(1658〜1660)紀州北牟婁郡の炭焼き
②「備後屋長左衛門」説
 中瀬氏によって、聞き違いとして否定されています
③「備中屋長左衛門」説
 元禄年間(1688〜1704)紀州田辺藩の炭問屋

もっとも有力とされているのはすでに一般的な「備中屋長左衛門」説ですが、その説の中にも誰が創始者なのかという論争が残っています。

2.2.2 四代にわたる「備中屋長左衛門」

四代にわたる備中屋長左衛門のうち、誰が備長炭の本当の創始者なのか、説としては下記の通りです。

本当の創始者は誰か?
・多屋秀太郎氏(林業家)による説
  初代長左衛門(1730年没)
・鳥羽正雄氏(新宮皇學館教授)による説
  初代長左衛門(1730年没)
・雑賀貞次郎氏(郷土資料家)による説
  3代目長左衛門(1804年没)

発明年代はいつか?
つまり、備長炭の発明年代を元禄年間(1688〜1704)とは決定できず、おそらく江戸初期であるらしいことは判明しています。

2.2.3 備長炭の発明者に関する結論

その炭の命名の起源や創始者をめぐっていくつかの説が存在しますが、すくなくとも備中屋長左衛門は1730〜1854年までの124年間に4人存在し、炭問屋・取扱業者であって製炭者ではない。つまり、発明者は秋津川村(現田辺市)のおそらく無名の炭焼の一群であって、「備中屋長左衛門と山の職人たちとの共同の成果」というのが結論とされています。

解決できな多くの謎や伝説が残っていることも紀州備長炭の魅力の一つだと思います。

最後に、備長炭の歴史と弊社のとの関係を詳しくご説明します。

3 紀州備長炭と廣備の関係

3-1 紀州備長炭と創業者渡邊廣吉

紀州備長問屋として創業

有限会社廣備は、和歌山県出身の創業者渡邊廣吉が東京の炭問屋で修行後独立し、和歌山の大手移出問屋の支援を受けて紀州備長炭の取り扱いを開始したことに始まります。

戦中の燃料統制、戦後の生産・消費の減退期に多くの炭問屋は縮小や廃業をするなど産地にとっては苦しい時代が長くありました。

3-2 紀州備長炭と二代目渡邊惠太郎

紀州備長炭生産者の想い

その中でも、二代目渡邊惠太郎は安心して生産を続けてもらうために在庫過多になろうとも買い支えました。2003年頃に紀州の産地を訪れた時に、ある生産者が「こんな時代だし取引をやめさせてくれと言われると思っていた」と言ったことから、当時の生産者の皆さんの想いがわかります。

製炭全量買い取り

出来上がりや長さ・太さ・形状で価格も変わるのが備長炭ですが、あれはいいけどこれはダメなどと選り抜きをしていると生産者のところには売れないものがたまってしまいます。

商売としては遠回りかもしれませんが、余るからと売りにくい部分も買惜しみをせず、不足の時だけ値段を釣り上げてでも買い集めるようなことをせず。どんな時代にあっても太い木から細い木まで山にあるまま、出来上がったものは全て買い取りました。

その場その場の取引ではなく、どんな時でも互いに信頼関係を築きあえるよう努力し、安心して次の生産に取り掛かってもらうのが産地と取引をする際のあるべき姿と考えています。